「王女さま、本日は大変珍しいお品をお持ちしました」
「お前はいつもそう言うではないか」
フルールの不満げな声に、フォリスはうやうやしく垂れていた頭を上げた。
「わたくしが世界各地より集めてまいりました希少な品を正当に評価くださる方にこそ、お手に取っていただきたい逸品に存じます。ジャルダン=ダンジュ王国一の欲しがり屋さん…いえ、審美眼を持つ王女さまにふさわしいものと確信しております」
「欲しがり屋だと?」
フルールが目を吊り上げるのを見て、フォリスは再び頭を深々と下げた。が、こらえきれずに漏らした笑いで肩が小さく揺れている。
「我はなんでもかんでも欲しがるわけではないぞ。それに、まだ見ていない。お前がたいそう自信を持っている、その希少な品とやらをな」
いつもこうだ。
フルールは「キィー」と叫び出したいのをこらえて、目の前にかしずく細身の男を睨めつけた。
いや、男なのかどうかもわからない。
ヴァルト神殿の美しい彫像を思わせる艶やかで整った面差しに、白馬のたてがみのような輝く髪。
頭を下げたときに長い髪が頬を撫でる様は、さらさらとこぼれ落ちる銀の砂を彷彿とさせる。
カフェ・オ・レイという異国の甘い飲み物に似た薄褐色の肌に、緑柱石のような深い緑の瞳。
まるで妖精のようだと城中の侍女たちが嘆息するのをフルールは知っている。
フォリスは世界を巡りながら絵を描く旅人だった。
訪れた地で手に入れた珍しい品を蒐集家に売ることで生計を立てていたが、ジャルダン=ダンジュ王国の王女であるフルールが無類の宝飾品コレクターであることから、城に招かれるようになった。
人を食ったような態度は癪に障るが、言葉どおり毎回素晴らしい品々を披露するフォリスの目利きをフルールは高く買っている。
それに、フォリスの持ってくる品はただ美しかったり珍しいだけではないのだ。
「今日はどんな物語を見せてくれるのだ、フォリス?」
好奇心を抑えきれない瞳で卓上のそれを凝視しているフルールに、フォリスはいっそう得意げな笑みを浮かべた。
「涙を集めてつないだ幸せのネックレスでございます」
「涙?」
フルールは眉を寄せた。
「悲哀のこもった品は、あまり好まないのだが」
「おや、王女さまは涙を悲しいときにしか流さないのでしょうか」
フォリスの言葉に、フルールは当然と言わんばかりに頷いた。
「愉快で涙を流す者がいるか? 甘いものを食べてうきうきしたときに涙が流れるか?」
「王女さまがうきうきされるのは、甘いものを召し上がられたときなのでございますね」
「人の話を混ぜっ返すな。涙を集めたのに、なぜ幸せのネックレスなのだ。涙と幸せは相反するものではないのか?」
フルールの戸惑う様子に、フォリスは満足そうに微笑んでいる。
この男、あるいは男ではないかもしれないが、他人を惑わすことに無上の喜びを得ている節がある。
このひねくれ者が、と腹の中でつぶやきながら、フルールはフォリスの言葉を辛抱強く待った。
フォリスが持ってくる品にはみな、物語があった。
それがどのように作られたのか、誰の手にあったのか、どのように使われていたのか。
時には何世紀もの時代を見つめてきたものであったり、人類の英知を超えたようなものであったりする。
真偽のほどは不明だが、それも魅力のひとつであった。
「恐れながら、王女さまのお手を拝借いたします」
足元まで進み出たフォリスが差し伸べた手のひらに、フルールがそっと手を重ねる。
フォリスがもう一方の手で品に触れると、フルールの視界は薄いヴェールが降ろされたように白く霞んでいった。
再び視界が鮮明になったとき、目の前に男の顔があった。
フルールはぎょっとして声を上げたが、男は黒曜石のような瞳を細めたまま微笑んでいる。
男にはフルールが見えていないのだ。
この男だけではない。
この世界に存在するすべての者に、フルールの存在は無であった。
「この世界」とは、言い換えれば「物語」である。
フォリスが手に入れた品には物語があり、フォリスの手を通してそれを見ることができるのだった。
フォリスのファムウ属性(*1)が「気」であり、とくに過去の慧視(*2)に長けているため、物品の来歴を可視化できるのだという。
フォリスが見せるのは品物の「記憶」だ。
フルールは記憶の中の人物となり、その人物の目を通して物語を見ることができる。
いまフルールが目を借りている人物はどうやら若い女らしい。
質素な綿の布服に、使い込まれたエプロンをつけている。
若い女がアルール族であることはすぐにわかった。
アルール族の女は十歳の誕生日を迎えてから毎年、左腕に銀の腕輪をひとつずつ増やしていく。
この女は11本の腕輪をつけているから、二十歳なのだろう。
(おや、男が身につけているのは“誓いの軍衣”ではないか。マリンガ旅団の兵士ということは――)
男が若い女の左手を取り、フルールの思考が途切れた。
瞳の色と同じ漆黒のマントから銀の輪を取り出し、男が若い女の左腕にそっとはめる。
女がつけているものよりも幅広で厚みがあり、植物の蔦のような美しい彫刻が施されていた。
熟練の彫金師によって作られたものであることは一目瞭然だ。
あの特徴的な葉は木蔦(*3)であろうか、などと考えていると突如、視界がぼやけて彫金模様が滲んだ。
女が滂沱の涙を流しているのだと気づくのに、フルールは数秒を要した。
真珠のような大粒の涙が薄汚れたエプロンに音を立てて落ちていく。
ひときわ大きな涙の粒がこぼれ落ちたかと思うと、突然強い光を放った。
その眩さにフルールは思わず目を細めた。
光は広がり続け、世界は膜に包まれたように白くなっていった。
ゆっくりと目を開くと、緑柱石のような鮮やかな色の瞳が目の前にあった。
静かに息を吐きながらフォリスの手を離し、フルールはもう一度目を閉じた。
光の粒が目の裏に焼き付いたかのように、残像として浮かび上がる。
「いかがでございましょうか、王女さま。あの光の粒は――」
「アルール族の女が流した涙であった。マリンガの兵士から銀の腕輪を贈られていた」
フルールの言葉に、フォリスの表情がぱっと明るくなった。
「そうでしたか!階級制度に厳しいマリンガの騎士がアルール族の女性と出会うことも珍事ですが、銀の腕輪を贈るとはいっそう驚きです。アルール族にとってシルバーは精霊から授かった幸運の象徴であり、銀を集めて作った腕輪は最上の贈り物とされております。しかも男性から女性へ銀の腕輪を贈るということは」
「みなまで言うな。我にも多少の知識はある」
フルールの苦笑いに、フォリスの言葉が途切れる。
「ジャルダン=ダンジュ王国一の目利きをされるお方に大変な無礼を働きましたこと、ご容赦くださいませ」
平時は取り澄まして超然とした振る舞いのフォリスがこのときばかりは饒舌になるのを、フルールは密かな楽しみとしていた。
フォリスには物品の物語を見せる力があるが、自分自身でそれを見ることはできないようなのだ。
フォリスが慧視するのは断片的なものであり、フルールのように写実的に見ることはできないという。
そして、フルールほどはっきりと物語を見ることができる者もほかになかった。
フォリスが見つけてきた希少な品々は、フルールが見ることで真の価値を定めることができるのだ。
フルールの表情に柔和な色を見出したフォリスは、安堵したようにはにかんだ。
「王女さまへお尋ねすることをお許しください。その腕輪にはなにか模様が彫られておりましたでしょうか」
「お前にもあれが見えたのか?いや、冗談だ。世界をぶらぶらと放浪するだけあって、察しのいいことだな」
「やはり、結納の場面をご覧になったのですね」
緑色の瞳がきらりと輝いた。
「王女さまに申し上げますのは釈迦に説法でございますが、マリンガーノ族の男性が求婚する際に女性へ贈るのは蔦模様の入った金の指輪。アルール族が銀を最上の品と定めている(*4)ゆえ、その男性は銀の腕輪を特別にあつらえたのでしょう」
フォリスが得意満面で続ける。
「幸せの極みでこぼれた涙が結晶化し、それを集めてつなげたのがこのネックレスでございます」
「なぜ泣いたのだろうか」
「は?」
フルールのつぶやきに、フォリスの瞳が丸くなる。
「あの女にとって生涯もっとも喜ばしい瞬間であったろう。なぜ笑わなかったのだろうか」
フォリスは困ったように眉を少し寄せ、考えながら答えた。
「王女さまは“うれし泣き”をなさったことがございませんか」
「ないな」
「左様でございますか」
「うれしいときは笑顔であろう」
「おっしゃるとおりでございます」
「なぜ泣いたのだろうな」
「えーと」
「うれしくなかったのか?」
「うーん」
「本当は別の男を好いていたとか」
「あー」
ふたりのやりとりに耐えきれず、侍女のマーネが吹き出した。
「フルールさま、私の臓器がねじれそうですー」
腹を抱えて笑うマーネを見て、フルールが目を見開いた。
「マーネ、涙がこぼれているぞ。これが“うれし泣き”か」
「うれしいというか、おかしいですー」
遠い西が故郷であるマーネは口調が独特で、底抜けの明るさも相まって誰からも愛される侍女だ。
「“おかし泣き”というのもあるのか。泣くにもいろいろあるのだな」
「“おかし泣き”じゃなくって“笑い泣き”ですー」
体をくの字に折って笑うマーネを見ながら、フルールもつられて微笑んだ。
フォリスが新たな旅へ出て数日後。
フルールは窓際の椅子に座ったままぼんやりと外の景色を眺めていた。
穏やかな陽気で、心地いい風が吹き込んでくる。
風に乗って大きな蝶がふわりと視界に現れた。
黒光りする羽が動くたび様々な色に輝くのを飽かず眺めていると、なにかが閃光のような速さで飛び込んできた。
あっと声を上げるまもなく、蝶が視界から消える。
灰色の体に黄色の首、昆虫を好んで食べるのはおそらくヒタキ科の鳥だろう。
ざわめく心を落ち着かせていると、バタバタと足音が聞こえてきた。
「フルールさまあー、お使いはありませんかあ」
「マーネ、城内を走ってはいけないと何度教えたらおぼえるのか」
マーネは走るのをやめ、大股で歩きながら室内に入ってきた。
「フルールさま、今日はなにかお買い物しましょうか?」
「とくに急ぎの買い物はないが」
「ええー、ないですか?本屋さんとか、なにか読みたい本とか」
「マーネが読みたい本があるのだな」
フルールが優しく笑うのを見て、マーネはほっとしたように表情を緩めた。
「『黒い騎士』シリーズの新しいのが出たんですー。ノクスちゃんはもう読んだって、ネタ枯らしをしようとするんですー」
「それを言うならネタばらしだな」
「黒い騎士」シリーズは若い女性向けの小説で、いまもっとも人気の作品だ。
著者は不明だが、それもまたミステリアスだと人気に拍車をかけている。
「新しい本は、ついに!黒い騎士のツツジがわかるんです!」
「ツツジ?出自のことか」
「そうです!お父さんがどうして死んでしまったのか、カタミの腕輪のナゾが明かされるんですー」
フルールはマーネの言葉をやんわりと手で遮った。
「マーネもノクスと同じことをしているぞ。ネタばらしはほどほどにな」
マーネが手で口をふさぐのを見て、フルールは笑いながら頷いた。
「国じゅうの者が読んでいる話題の書なら、私も知っておかねばなるまい。すぐに二冊買ってきておくれ。マーネが読むのを待っていたら下弦の月になってしまうからな」
うれしさのあまりぴょこんと飛び跳ねると、マーネは大喜びで書店へ駆けていった。
「走るなと言っているのに」
ふっと小さく笑ってから、フルールの表情は物憂げに翳った。
「『黒い騎士』は実話であったか」
あの日、銀の腕輪をもらった女はすべてわかっていたのだろう。
共に過ごせる時間は短いと知りながら永遠の愛を誓うこと、こぼれた涙は悲しみ故か否か。
未来はどうあれ、あの瞬間は幸せに包まれていたのだと思いたい。
うれし泣きであってほしい。
フルールはテーブルの上に置かれたネックレスにそっと触れた。
窓から差し込む陽光に照らされ、透明な粒が優しく輝いている。
(終)
*1:ファムウ属性とは、人間の生まれ持つ性質。「気(キ)」「風(フウ)」「雷(ライ)」「流(ル)」「明(メイ)」「壌(ジョウ)」のいずれかに属し、それぞれ特性が備わっている。
*2:慧視(けいし)とは、物質として形を持たないものを見る力のこと。人や動物の強い思念や、長い間その場で行われていた儀式、民族のポリシーなどを感じ取り、色や形に置き換えて見ることができる。
*3:木蔦(キヅタ)とは、ツル科植物。アイビー。花言葉は「永遠の愛」。
*4:アルール族は魔術に長けた者を多く輩出する部族で、ファムウが宿りやすい銀製品を重宝する。
一般的には金のほうが高価値であるが、彼らにとって銀は特別なものであった。
心の奥に抱えた大切な気持ち、そっと聞かせてください。
その思いを素材に、あなたの物語を書き下ろします。
Your Book